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うたいて酒井俊の日常を少しずつ話せればとおもいます 散逸してはいますが 撮りためた写真なども掲載したいと思っています


by sakaishun

明日のあんちょこ 公開

この何年間やってきた事はとかなんとか良くわたし言うけれど、、、、、
明日のあんちょこ  公開_a0189940_16312182.jpg

明日は超久し振りにその中の一つであり、何年もやってきた
太田惠資vln・坂本弘道cello ご両人との演奏なので、これまた
超々久し振りに細かくアレンジ譜ではなく、アレンジ言の葉
書いてみました。こういうやり方でのを書くのが、あまりに
久し振りなのでちょい短いけれど、かつては溢れ出してくる
やりたい事を、この倍位の言の葉でA3紙面を埋めてしまい、
皆譜面台が二つ必要だったりもしたんですよ。
それが何年も毎日のようにつづきました。
私も大変でしたが、皆も本当に大変だったと思います。

「螺旋階段な日常」のライナーをお願いした中の一人の関島岳郎さんが
とても詳細,且つ冷静・熱いライナーを寄稿して下さって、それを
読んで頂ければ、プロジェクトの malpasomalpaso がどんな事を
やってきたのかがよくわかります。
楽しみにしていて下さい。お願いをして書いて頂いたライナーは
様々な角度から数名の方々がそれぞれの思いを記して下さっています。
もうすぐ、積み荷はやってくるです。

こんな物を公開するのは初めてです。
チョコチョコ写真が撮られたりはしていたかもしれませんが、自身では
はじめてで、、、、

最近よく俊さんのやり方でやっているというのを間接的に耳にします。
そんな方がいるのならば、どんどん放出したいと思います。
私にできる事って言ったらそのくらいなもんです。
それについてはまたきちんとお話しするとして、、ともかくこんな物を
それが明日、太田坂本両氏にお渡しする前に,皆さんに公開しまあす。
おあとがよろしいようで、、、、、、
# by sakaishun | 2012-05-17 16:37
約束の時間に電話があり「近くまで来たけれど曲がり角がわからない」って
栄ちゃんがいう。うう、あり得ない。
約束の1500に現れるなんて、、あらまっと迎えにでる。

昨日は石(と呼んでるからそのままに.....石渡さんのこと)と3人でのリハでした。
リハは滞りなく? スッゲク面白く終了〜〜といいたいところだけれど、
面白かったのは事実ではあるけれど、3曲やったあたりで、
「もう、いいんじゃないの」というのよあいつ等、、、あり得ん。

栄ちゃんはなんちゅうか優しいのですよ、大好きな石と一緒なもんで
もう本当に優しくて、、大ジョブ大ジョブとかなんとか連発するわけ、、
石はほれ、ちゃんとしてるんだからね、、結構確かめるわけ。

で、私は赤児なだめ戦法でいくわけさね、、で、結局12曲程終わりました。
大変スムースにね、うん、無論楽しく。

武田さんと栄ちゃんが二人きりの時の楽屋は?_a0189940_1520526.jpg


私は連日の突然の来客とかで、なにも買い置きはないし、今夜はちょいと
疲れてるからリハ終了時には、宴会はなし、もうおひらきと思っとったのですが、、

「ジャ、飲もうか」「えっ」なんて、わたしがおどろく時間はない、
と う ぜ ん という流れで始まりました。
焼酎1本は2時間かからず、焼酎1本半に、スコッチいってみようかなんてことになり、、
でも弱くなった栄ちゃんはそこどまり、3時間でお開きになったわけであります。
まあ、帰宅すれば丁度酔いも冷め、ネコちゃんたちのお世話ができるってもんでっす。
石はスコッチから、色々展開したかったんだろうなあ、ご機嫌でよく話してくれ、
簡単な物を作りながら話を聞いてるのはとても楽しかったのでした。
石の話はもうもういっぱいで、ここには書けないわ。


栄ちゃんはね、ちょっとだけ、、ネコの話以外はね。
「武田さんと俺が楽屋にいると、二人ともホラ喋んないじゃない。
だけど、喋んないのは少しも辛くなくてさ、らくちんでさ。
ズッーと喋んないでいるわけ、ずっとそうやってるわけ、うふふふふふ。
で、やっと喋れば、飲みいく?でさ、楽だったよ、二人でいる楽屋は。
でもそういうのは変なのかなあ?
喋んない方がやっぱり変わってんのかなあ?世の中からみれば」
喋りたければ喋ればいい、喋りたくなければ喋らなければいい......なんて
馬鹿な事はいいもせず、、ただただ話を聞いとりました。
勿論この話は、舞鶴やマルハウス......バタや是安さんや沢山のミュージシャンの
話のなかででてきた一つ。

ああ、ふたりの名誉の為に......話は現在のほやほやの話と昔の話、
半々でありました。勿論音楽の話も、、あと、映画の話も。
石とはそういやあ、eastwoodのBIRD を、一緒に観に行ったんだわ、
今、思い出したっす。そう parker物語 ね。

それにしても、バタは私(結婚してた頃の話、、今は朧どころか何にも
残っておらん?昔の話です)が借りてい佐島の家で4回の夏を家族の方達と
すごしたですよ。夏は三崎から東京まで通ってた、ベースもって。
「バタ、うちは夏、佐島使わないから、家族でつかう?」
「うんうん、そういうのすきなんだよ。」
バタにまつわる、「かわいらしい話」「意表をつくよな話」だけで
本が一冊かけてしまいそうなの。



このリハでの音は今週末の都立大学jammin'、ベトナムへとつづきます。

あっ、私が有り物で作るご飯やつまみはとても美味しいそうです。
で、料理が上手と言われます。そういうのを写真に載せろと叱られました。
そういう事でもすれば、俊さんは恐い人って言うイメージが和らぐ
きっかけになるのではとも若いおのこに言われました。
でも、昨日も撮ろうとしたらもう二人は半分近く食べてしまっていたし、、
でも、そうしよっかなって思う気持ちはあるのです。
普通のあいすくりーむが超高級なんじゃなあいってみんなが言っちゃう
くらいにしちゃうの「とっくい」だものねえ。

私はこわいひとじゃないですよ。
寧ろあほですよ。だって、あの栄ちゃんと喧嘩なんかしちゃうんですからね。
あほでしょうが!!
# by sakaishun | 2012-05-16 15:26
だいだらぼっち 螺旋階段な日常 RECその3

マリリンとエラと拡声器とlove me tender_a0189940_653232.jpg


love me tender を歌いたくなった時、10年以上も前に
購入していた拡声器がやっと日の目をみることになりました。
love me tender, Marilyn Monroe, Ella Fitzgerald & 拡声器は
私の中でスムースに同時納得発生したのであります。

Marilyn が逝ってしまった時は世界中が大騒ぎになったわけだけれど
それでもちょいとおかしい感じは拭えなくて。
当時早々に出版された伝記も多々あったけれど、なんだかなんだかで。

そんな中でも私の中に鮮明に残っていたのは Marilyn は Ella が大変に好きで、
それはなんと言うか半端ではなかったという事でした。
Ella は大スター Marilyn のあこがれ的な存在で、休みの日は日がな一日
ラジオから流れてくる彼女の歌を聴いていたというんですね。

おそらく Ella の他の歌だと思うのだけれど(Ella の love me tender は聴いた事がないので)
ある日の午後「love me tender, Marilyn Monroe, Ella Fitzgerald & 拡声器」が、
何故かはわかりません、ピタッとリンクしてしまったのであります。

で、ちょいとそんな話をおりこみながらライブで歌ってきました。
REC でもライブとおなじように、あのチープないつも使ってる拡声器
を使用、録ったわけであります。



さてさて、先日大好きな singer でも、友人でもある金丸正城さん
からとても素敵な話を伺いましたので紹介したいと思います。
飲みながらでしたからちょいと現時点での脚色も入るかもです。
責任は私にありまする。


時代は1955年頃、
処はハリウッドの Mocambo (モカンボ)というナイトクラブでのお話。

Mocambo は、ハリウッドの目抜きどうりにあった最高級クラブで、
1955年当時はまだ黒人のエンターテイナーは出演出来なかったのですね。
Ellaの大ファンだった Marilyn は、クラブのオーナーにわかってはいても、
何故かと尋ねたわけであります。もうその頃、Ella は Norman Granz のもと、
大舞台でのステージ、ラジオにと大変なスターであり、、しかし答は「NO」。
それでも彼女はひるまず何度かオーナーに掛け合いました。
するとオーナーは彼女が「毎日クラブに通ってくれるなら」という条件つきで、
2回目のステージ(もちろんメインのステージですね)での出演を承諾しました。
撮影にはいつも遅れて来る彼女、けれど、毎晩ちゃんとやってきて
オーナーとの約束を果たしたというわけなんですね。1週間だったような!!
店は連日の大入り、大ヒットに考えを改め、それ以後黒人エンターテイナーも
出演できるようなったそうです。
因みに、Ellaの初日には Marilyn は勿論 Frank Sinatra, Judy Garland など
そうそうたる人達が集まったそうです。

写真は、大スターを目の前にうっとりしている少女のような Marilyn
ちょっと恥ずかしそうに、小さくなってるような、でも嬉しさを隠しきれない
様な風情の幸せそうな Ella.............
# by sakaishun | 2012-05-03 06:23

果たして志ん生師匠に辿り着けるのか? その2_a0189940_2593153.jpg

常さんの口から「祖父母の墓は大きな銀杏の木のところで」
というフレーズがでてきて、もうなんちゅうか私としては
まったくもって耳を疑ってしまうわけであります。

お主やるなってなものです。

あの大銀杏は天王寺さんから、つまり日暮里駅から行った場合
桜並木に足を踏み入れる手前から俄然そびえ立っているのが目撃でき、
子供の頃、それは「天狗の木」と命名しとりました。

コッペパンを買って、肉屋さんに行きコロッケを挟んでもらい
ソースいっぱいかけてもらう、みんなでするお昼ご飯(因みに
コッペパンは10円コロッケは5円、ソースはサービスでしたあ)も、
何となくお昼寝しちゃうのもその「天狗の木」の木陰であります。
冬の終わりから春、秋は殆ど毎日。夏は駄目駄目、空など全く
みえなくなる桜の緑強し葉々達のトンネルからは、毛虫の大群が
ばっさばっさ、道路は毛虫でぐちゃぐちゃになりました。
毛虫とのかけっこ合戦でありました。

その大銀杏を、「大きな銀杏のそばに〜〜」とさらっといったあなたは、
なになになに....なのでありますが、ぐっとこらえ、前進であります。

私の場合いろいろ逆なんですね。
墓場で遊ぶのが日常でありましたから牧野富太郎、高橋お伝、
天津乙女、川上音二郎、上田敏、谷田部良吉、本居長世、
渋沢栄一、3才で逝ってしまった子供のその子が描いた絵を彫った墓、
赤く塗られた生前葬←これは鳩山一郎と薫子、まったく大きな墓でした。
なんで生きてるのにあるんだろうと不思議で母に尋ねた物です。
無論赤塗りしてありました。
侵入禁止の徳川家の墓なんてのもお昼をするのにはもってこいでありました。
大きなまあるい半円形のとでもいえばいいのでしょうか、そんなんが沢山ありました。
掟破りはその頃からの得意技。

それらはただみて目に焼き付いていただけです。
学校へ行き、授業で、本で、映画でなんだか知ってるなあこの名前、、
というわけ、あとで知識は得たもの?にすぎませんでした。
まあいわば逆なわけです。


遊びの行動範囲は谷中、日暮里は勿論、上野のお山、団子坂から根津、田端、
池之端、千駄木、本郷、白山、入谷の鬼子母神、浅草辺りまで及びましたから、
どこだったかは確実には思いだせないのだけれど漱石、龍之介住居跡などの
その記された細長いあれ?を無意識に常に目にしていたわけです。
(中学に行く頃は自転車で千住の荒川土手まで足はのびました)

そういえば、山下清の家の前はまだ歩道と車道の区別ない時代に、
いい感じの大きくもなく小さくもなく、しかししっかりとして
微笑ましくもある石門に「山下清」の表札がはめこんであり、
その前を通るのは大変楽しみで、ある時は回り道してのわざわざの
帰り道だったりしたのでした。


常さんはいいます。
「長谷川一夫の墓はこの道路に面して、、たしか」
我々はもどりました。私は知らなかったから、彼の墓があったなんて。
ありました。お花がいっぱい。常にいっぱいということだそうです。
(常さん本当にここいらあたりの探訪しとるんですね)と内心、ふむふむ。
で、そこは長谷川家の墓と名称されており、最前列の右端にかわいらしい
「〜〜〜水子霊達之墓」というのがあって、もう目を疑いなんどもみたので
ありました。彼の心なんでしょうかねえ。どうしてもそれをして逝こうと、、謎

果たして志ん生師匠に辿り着けるのか? その2_a0189940_343343.jpg

墓地を抜け花重さんを右手に進めば桜木町に抜けて行くわけです。
そう、愛玉子のあるそこいらです。
桜木町に入る処は三叉路になっていて三角を右に行けばまた日暮里の方へ
もどるというわけであります。

その三叉路の所にはとてもcharmingな画材やさんがあったのですが、、
そしてそこには憧れてしまう、バリバリ現役だった頃の北原三枝そっくりな
カッケイ女子がいて、いつも男を二人つれとり、ながい足、ポニーテールの
長い髪を、アタシ口なんかきかないのよ、ちょっと目配せ、薄く笑うだけよ
なんて感じでいたのでした。あの人は今はどうしてるのだろうか。
ながい足を大股で、、自然に大股か?闊歩しとりました。

で、我々は日暮里に通じて行く初音町への道へと曲がっていったのであります。

常さんはいうのであります。
「五重塔、、、幸田露伴、、、その辺りの話聞きたかったんだよなあ、、、」
で、五重塔はもうその残骸しか残ってはおりませんから行く事もなく、、
我々はやはり初音町への道へと進むんでありました。
ここで人情露伴の五重塔話が浮上してきます。
とんとんとんとんととんとん、、、、


続きますです、、、
# by sakaishun | 2012-04-20 03:10
昨晩降り立った日暮里駅は全くのしらない駅であり、がつんとショックでありました。
去年の一月に車を手放したので、それまではスイスイと車で花見もしよっとです。
駅自体はもう20年以上使った事がなかったので、、、、
駅はこの一年ちょっとの変貌という事がこのあとに判明したのではありますが。


深いわけのなにもなくただ飲みましょうと常吉さんとなり、
最後の桜も愛でる事ができたわけであります。

常吉さんも下町の産であり、あのあたりの探索は並ではなかったご様子、
なんせおおざっぱな土地柄、なんの足跡も、痕跡表示も殆ど残っとらん有様です。
それなしのでのいまや観光地、、という事ですが、実家はあれども、
父母が亡き昨今、余り寄り付かなくなってしまった次第。


で、もう日暮里駅の様変わりにショック状態のわたしなんですが、
彼のお尋ねにむらむらと、
子供時代に遊びし桜におおわれた土の上を行くうち、
やはり変わらぬ涼やかな風に包まれて、
いい気持ちになっていったのであります。




今回はただ、二人があるいた道順に沿って思いついた事、書いてみたいと思います。



まず、墓地口に降り立てば左折行く道と、前に即階段となります。
彼の所望は階段あがる。
もひとつ駅前には誰もが行く大きな坂道が右側に本行寺さんをみてあります。
この道はその夜あとで行くことになります。

この階段上の墓地は大体において地味目で、昔はちょいと荒れており、
それがまた格好の遊び場でありました。
大変整理されとるではないか、うッ左に見えるあの大きな美しい家は何だ何だ。

家をぐるっと左へ回れば、、、
駅前左折から直進、何となく右周りの緩い階段をあがり
まっすぐ行けば小径の小坂突端に天王寺さんの表門、で両道がぶつかる仕組み。
その小径小坂といえば、左には天王寺さんの生い茂る草木のはみ出た土塀、
右には短い距離だけれど、なんともいえぬ風情に満ち満ちた、
茶店や旅館や引き戸のある格子のある井戸のある木造の住まいが、、、、
今はぜーんぶ変わっちまって、、、そんな事驚いたって始まらない。

で、天王寺さんは、、ああこれはまああまりに現代建築?寺である事よで、
なんだかなんだかなんだか。
いまは立派な門柱がおわす所には、賽銭箱があったのよ。



で、桜並木。
となれば、五重塔。

今日はここまで、、つづきます。
長編になりそうです、、、ご期待ご期待!!
# by sakaishun | 2012-04-19 11:50