文七元結.......柳田角之進...........

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老境の赤ちゃん帰りってのがあるときくけれど、昨今の私は落語帰り。
中学から特に高校の時は学校帰りには、国立国会図書館分室ってのが
通ってた高校のすぐそばにあったのでそこに行くか、上野の鈴本に寄
るかが定番。

国立国会図書館分室に寄るのは別に勉強するのでもなく、読書するには
するのだけれど、ともかく建物が好きでその空間にいたかったわけだ。
いまは国際児童図書館とかなんとかになっていて、、恐くて入れない。
ともかく門構えがなんとも、変わってしまって。あの玄関というか、
門構えが、もうたまらなかったわけなのよ。良かったあのです、内も外も。


でも、なんであのように時間があったんだろか?
そこに映画ってのも介入していて、、記憶としては殆ど三日にあげず通っ
てたわけで、、、、中学2年のとき、どうしても観たかったフランス映画
「女は夜の匂い」と「女王蜂」の二本立てをを銀座の有楽座に観に行って、
それを知った普段はおとなしい母が、珍しく怒り、夕ご飯は無しとおしお
き、ご飯無しはどうでもよかったけれど、不良のやることって言われて、
うんざりした記憶もありありと今よみがえってきましたぜ。



名古屋の大須演芸場で、結局10年に渡って志ん朝師匠が慣行することになっ
た、1年1回3日間連続1夜2席の公演の凄まじい落語を昨今、聴いている。
この凄まじさのなかでなにもいうことなんかできやしない。

引き込まれ、笑ってしまい、で、しんみりと泣かされて、、、、すごいねえ。
どんなに修行は大変だったろうか、ゆかいだったことだろうか。

家が近所だったからお父さんの志ん生師匠、兄貴の志ん馬師匠、そして志ん朝
師匠もよくみかけたけれど、ああ、もっともっとその姿を拝んどくんだった。
あの歩いてる姿をよおくよおくみとくんだった。
こいつは後悔もんですな、もっともっと、家の周りうろつくんだった。
ちょっとした声、盗み聞きしときたかった。後悔さね。


これも去年から続く体調不良のなせる技、落語を聞いていると知らぬ間に集中
しているもんだから痛みを忘れてる。それに今年から始まったアレルギーのか
ゆみと痛みも忘れる事ができる、、、、、その間は。
それが落語帰りになったんだったら、まあそれはそれでよしとしよう。

大須のは独演会を三日間だからふだんはあまりできない演目、1時間以上の長編
「文七元結」や、地味な物も取り上げていて「柳田角之進」なんぞ、聴いてい
て、自分が生きてるのが恥ずかしくなってしまうのにもぶちあたる。

ま、、凄まじいやね、落語の世界も。
先代文楽師匠や、志ん生師匠、圓生師匠が生きてるのをまのあたりにすることが
できる時代に男になって生まれ変われるなら、、、、
日参して修行の日々をつんでみたい落語家道。



大須演芸場のどの1本をとってみても志ん朝は、 小屋 客席 用事足すそれぞれの人達
そして、小家主......達との間に暗黙の内にある信頼関係の中、ゆうゆうと進み、、
互いのからみに志ん朝自ら、たまらなくなって吹き出すように噺し、小屋に充満する
空気のすべてを満喫しつつ心から楽しんで高座にあがっているのが伝わってきて
たまらない。それだけで泣けてくる。で、笑ってしまう。
緊張と緩和の間合い、それがつくりだす空気の充満がきらきらと美しい。
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by sakaishun | 2012-07-11 03:18